wisdomについて

有限会社ウィズドムは、1995年に小原直樹が東京で設立。情報提供サービスを開始するが、間もなく家庭の事情により、事業を売却して休業。その後、小原直樹は家族と会津に移住して「とうふ屋おはら」を2000年に開業するが、当初は法人化するメリットがなく個人事業を選択し、有限会社ウィズドムは正式に休眠会社とする。2000年代に幾たびか豆腐屋をウィズドムに統合して法人化することを検討するが、やはりメリットがなく休眠会社のままとした。

2024年、平出油屋さんの技と設備を未来に引き継ぐために、クラウドファンディングを実施。この事業を永続化するために有限会社ウィズドムで事業を行うことを決定し、休眠を解除し再起動することになった。いずれは、豆腐屋も統合する予定である。

有限会社ウィズドムが再始動するにあたって、事業のミッションの再定義を行い、「叡智を集め日本の食料自給力を高める」こととした。その第一歩が平出油屋さんの玉締め圧搾法の継承である。現在0.04%ともいわれる菜種の自給率(国産率)を高めるためにも、会津で菜種の契約栽培を増やしていく計画である。

会社名有限会社ウィズドム
代表代表取締役 小原直樹
設立1995年
資本金300万円
所在地福島県喜多方市高郷町大田賀字地神原1308番地の2

小原 直樹 プロフィール

(有)ウィズドム代表取締役         とうふ屋おはら店主
1959年香川県生まれ。転勤族の親の関係で小中で転校8回。大阪府立天王寺高校ラグビー部。京都大学法学部卒。東京で、映像制作会社勤務、マーケティングリサーチ会社勤務、非営利団体勤務、情報サービス事業の有限会社ウィズドムの設立(のちに家庭の事情で事業を売却し休眠会社に)、広告代理店勤務などを経て、40歳の時に移住先の会津で豆腐屋になる。天職とふるさとを会津で発見。

自己紹介

福島県会津地方の喜多方市高郷町(移住したときは高郷村)で、夫婦2人(とパートさん)で小さな豆腐屋を営んでいます。江戸時代の狂歌に「ほととぎす 自由自在に聞く里は 酒屋に三里 豆腐屋に二里」 というのがあり、田舎の不便さを詠んだという解釈がありますが(個人的には酒屋、豆腐屋までの道のりで鳥の声や景色を楽しんでいたと解釈したいです)、店はそういう農村部(ド田舎)にあります。

豆腐屋の前は東京でサラリーマンをしていましたが体が不調になり、とりあえず退職。東京都立図書館へ通って食べ物や農業の本を読み漁りました。調べるうちに衰退する日本の農業と食料自給率の低さに驚愕(それから25年経ってもっと悪化していますが)。また食文化史研究の原田信男先生の著作にも出会いました。先生は日本の古代国家が何度も肉食禁止令(最初は675年)を出したのは仏教の影響というよりも稲作を優先することを選択したためであり、それから江戸時代にかけて米と魚、大豆を中心とした和食が成立していったという説を唱えています。豆腐と油揚げが大好きな自分が育った食文化の背景、歴史にも関心を持ちました。ちなみに先生の最新刊は奇しくも「豆腐の文化史」(岩波書店2023年)。そんなこんなで食べ物を作る側になりたいとの思いをもって移住先を探して各地をまわり、1999年ナウシカの風の谷みたいに感じた風景にひとめ惚れして会津に移住。移住してすぐご近所からいただいた白菜の甘味に感動したことは今も忘れられません。

独学で豆腐作りを学んで翌2000年に豆腐屋を開業し、2002年にはテレビ番組の「人生の楽園」にも取り上げられました。開業時から大豆と水と天然にがり(長崎県五島産)だけを使って、生搾りという製法で手作りしています。大豆は国産の在来種を使用、9割以上が地元会津での契約栽培です(不足分は宮城県産、山形県産を仕入れ)。創業以来、日本一おいしい豆腐づくりをめざすと公言していたこともあり、全国豆腐品評会(全国豆腐連合会主催)に第2回(2016年)から参加。しかし東北地区予選はどうにか通過するものの、全国大会(本選)では日本一どころか4位が最高で金銀銅もとったことがなく、全国から出品される美味しい豆腐にショックを受けては(出品された豆腐の試食会が毎回あります)、また改良と研究を重ねるということを繰り返しています。入賞するしないは別として、有難いことに二十里、三十里先から買いに来ていただくお客様もおられ、着実に進歩しているという手ごたえを感じています。